自己肯定感は上げなくていい|高い人は鈍感、低い人は気にしすぎ。どちらも「思い込み」な理由
「自己肯定感を上げよう」
最近、こういうメッセージを本当によく見かけるようになりました。アイドルが自己肯定感を爆上げするような歌をたくさん出していたり、本屋さんの自己啓発書のコーナーに「自己肯定感を高める◯つの習慣」みたいな本がずらっと並んでいたり。自己肯定感を高くしたい、自己肯定感が低い自分に悩んでいる、という人はきっと多いんだと思います。
はじめましての方もいると思うので、少しだけ自己紹介を。僕はカタギといいます。性格診断のコンサルをしながら、人の性格のことや、人が人をどう理解するのかについて、考えたり話したりしています。
そんな僕自身は、巷の基準でいうと「自己肯定感が高い人」に分類される人間だと思います。ただ、それで「どうだ、すごいだろ、憧れろ」と言いたいわけではまったくなくて(むしろ逆の話をします)。世間で言われている「自己肯定感が高い人」の姿をよく見てみたら、「みんな、本当にこれになりたいの?」と疑問を持ってしまったんです。
この記事は、YouTubeで話した内容を、はじめて読む方にも分かりやすいように文章でまとめ直したものです。先に結論を言っておきますね。
自己肯定感は、高くても低くても不自然。問題は「高さ」ではなく、自分への評価が一か所に固定されてしまっていること。自然なのは、自己評価が現実に応じてちゃんと動くことです。
世間で言われる「自己肯定感が高い人・低い人」
まずは、一般的なイメージを共有しておきたいと思います。ネットで「自己肯定感が高い人」「自己肯定感が低い人」の特徴を調べると、だいたいこんな内容が出てきます。
自己肯定感が高い人
- 明るく前向きで、自信がある
- 失敗しても引きずらず、すぐ切り替えられる
- 他人と比べず、「自分は自分」と思える
- 嫉妬や劣等感が少ない
- 自分の意見をはっきり言えて、断れる
- 他人の成功を素直に喜べる
自己肯定感が低い人
- ネガティブ思考で、自分に自信がない
- 失敗をずっと引きずり、自分を責める
- 他人と比べて落ち込みやすい
- 「どうせ自分なんて」が口癖
- 人の顔色をうかがい、嫌われることを恐れる
- 頼まれると断れず、自分の意見を言えない
パッと見て、どうでしょうか。僕の感想としては、低い人の方は「こういう人、いるなあ」とすぐイメージできます。でも高い人の方は、正直ちょっとイメージしづらい。「こんな人、本当にいるかな?」と思ってしまうんですよね。
自己肯定感が高い人に、悩みを相談したいですか?
この「高い人」の説明、いい意味でいえば、完成している人、自立していて人に左右されない人、という感じがします。でも悪くいうと、ちょっとどうなの?と思ってしまう。なんだか、あんまり人間の心がなさそうだと思いませんか。
たとえば僕が、「昨日転んで顔に傷ができて、顔がおかしくなったかもしれない。これじゃもう一生モテないかもしれない」と相談したとします。そこで「お前は何を言ってるんだ。そんなことは関係ない」とはっきり言われても、あまり慰めてもらえた気はしないし、励ましてもらえた気もしないですよね。
自分に自信があって、すぐ切り替えて、自分は自分と思っていて、意見ははっきり言える。そういう人に、うじうじした愚痴や、よく分からない悩みを話したいと思えるかというと……。僕の個人的な印象としては、「よかったですね、自己肯定感高くやってるんですね。一人で勝手にやってください」という感じです。あまり関わりたくない。関わっても、こっちのことを気にしてくれなそうだからです。
あなたはどうでしょう。この人に、悩みを相談したいと思いますか?
低い人は「気にしすぎ」、高い人は「気にしなさすぎ」
じゃあ、自己肯定感が低い人の方はどうか。こちらはイメージがつきますし、人間らしさもあると思います。落ち込んだり、くよくよしたり、嫌われないように顔色をうかがったり。人間の感情として、納得できる部分はたくさんあります。
ただ、そればかりだと、やっぱりこの人は気にしすぎなんですよね。「ああ、やっぱり自分はダメなんだ」とずっと言われ続けると、正直ちょっと面倒というか、うざいなと感じてしまうのが本音です。高い人とは別の理由で、こちらもあまり関わりたくないなと思ってしまう。
そして、二つのリストを並べてよく見ると、あることに気づきます。「高い人」の特徴は、「低い人」の特徴を裏返しただけなんです。引きずる、に対して引きずらない。自分を責める、に対して責めない。他人と比べる、に対して比べない。顔色をうかがう、に対してうかがわない。
でも、落ち込んだり、他人と比べたり、嫌われないようにしようとしたりするのは、人間として当たり前の感情です。むしろ、誰にでも持っていてほしいと思います。やりすぎるとしんどい。でも、それを全くやらなくなっているとしたら、それは自己肯定感が高いというより、人間として必要な機能が欠けている状態。ちょっと鈍感すぎる、と言えるんじゃないでしょうか。
自己肯定感が高い人は「気にしなさすぎる人」
高いも低いも、どっちも「思い込み」
ここで、僕なりの定義をしておきます。自己肯定感が高い、低いというのは、自分への評価が、どちらかの方向に偏ったまま固定された状態だと思うんです。つまり、どちらも思い込みなんですね。
人間って、総合的に見たら、一人ひとりに大した違いはないと思うんですよ。だから誰でも、人と比べて劣等感を持つ部分は必ずあるし、ちょっと誇らしくなれる部分も同じように必ずある。普通に考えれば、そうなるはずです。
自己肯定感が高い人は、そこに無頓着になっています。外側の評価を見ないようにしたり、一部の評価だけで自分を高く決めつけたりして、自信を盤石にしている。「俺より上はいない」と思えてしまうのは、現実が見えていないからです。
逆に自己肯定感が低い人は、自分のダメなところばかりに過剰に反応していて、いいところや、本当は持っている力には目が向いていない。「どうせあの人よりダメだ」と思い込んでいるわけです。
向きが逆なだけで、どちらも偏っている。欠けているのは、どちらも客観性なんだと思うわけです。
僕の自己肯定感が高いのは、たぶん鈍感だから
ここで少し、僕自身の話をさせてください。
僕は、自分に価値があるとかないとか、そういう基準で自分のことを考えることがほとんどありません。人と比べて落ち込むことも少ないし、根拠のない自信のようなものがあって、それが揺らぐこともあまりない。巷の基準でいえば、かなり「自己肯定感が高い人」です。
一見、理想的に見えるかもしれません。でも、自己肯定感について考えれば考えるほど、これは強いからではなく、単に鈍感だからなんじゃないかと思うようになりました。気にしないというより、気にできていない。外からどう見られるかを気にせず、「俺は俺」でやってしまう。この記事で「ちょっと変だ」と言っている状態そのものです(はい、僕のことです)。
本人のメンタルとしては、たしかに楽です。でも人間は、社会の中で他の人と絡み合って生きています。そう考えると、自分の評価がまったく揺らがない状態が、社会の中で健全かというと疑問が残る。むしろ「自己肯定感を上げたい」と願って悩んでいる人の方が、人としてはずっと自然なんじゃないか、とすら思うんです。
自然なのは、自己評価が「動く」こと
では、どういう状態が自然なのか。僕は、自分への評価が、現実に応じてちゃんと動くことだと考えています。
人は普通に暮らしていれば、他の人と関わる中で、軽い劣等感や、軽い自尊心、軽い嫉妬、軽い憧れ、軽い優越感を自然に感じるものです。
仕事で大きなミスをした日には、「今日の自分はダメだったな」と思う。そうならない方がおかしいです。人に心から感謝された日には、「自分って案外いいところあるな」と誇らしくなる。「この人には全然かなわない」という人に会えば、劣等感や憧れを感じるし、得意なことで拍手をもらったり、テストで100点を取ったりすれば、ちょっと優越感を持つ。どれも人間として当たり前です。
とはいえ、100点を取れる人も、同じくらいダメな人も、世の中にはそこらじゅうにいます。だから「自分は特別にすごい」も、「自分ほどダメな人間はいない」も、どちらも現実とズレている。
ギターには自信があるけど料理にはない。仕事には自信があるけど恋愛にはない。昨日うまくいったから今日は少し自信があって、失敗したから今日はちょっと落ち込んでいる。それが普通なんです。そしてそれこそが、外の世界とちゃんと向き合って、自分の立ち位置が見えている証拠だと思います。
その間を、行ったり来たりする。
価値の半分は、外からの評価で決まる
自己肯定感を「自分に価値があると思えること」とするなら、ここでいう価値は、他人や社会から見たあなたの人柄、能力、やってきたこと、役割や貢献に対する評価のことだと思います。だから、自分の行動によって上がったり下がったりするのは当たり前です。
少し極端な例を出します。家にずっと引きこもって、ニートをしていてもいいと思うんです。ただ、そういう自分は、少なくとも労働市場や社会貢献という視点で見れば、価値はどうしても低くなってしまう。それは事実として知っておいていい。でも、だからニートをしてはいけない、というわけではありません。
自分の価値には、外からの評価で変わる部分が確実にある。でも、それだけで自分の全部が決まるわけでもない。外の評価だけで自分を決めてしまうのも、外の評価を完全に無視するのも、どちらも偏りなんですね。
でも、他人の評価を無視しない。
「自己肯定感」という言葉のムリ
こう考えていくと、「自己肯定感」という言葉そのものに、少し無理があると思うようになりました。この言葉は、自分をどれくらい肯定できているかを示す、一つの固定されたメーターが心の中にあるような錯覚を作ってしまうんです。
でも実際の人間は、そんなに単純ではありません。今日は自分のことが好きでも、明日はちょっと嫌になる。自分の中にも、好きなところとあまり好きじゃないところがある。仕事では自信満々なのに、人間関係では劣等感だらけ、ということもある。
だから大事なのは、自己肯定感を「高くする」ことではなく、自己評価を現実に応じて「動かせる」ことなんだと思います。
自己肯定感が高いと思っているあなたへ
もしあなたが自分のことを「自己肯定感が高い」と思っていて、最近あまり人に劣等感を感じていないなら、少しだけ立ち止まってみてほしいです。それは劣等感がないのではなく、見ないようにしているだけ、見落としているだけかもしれません。
「その分野は、別に自分には必要ない」と思っている部分も、よく考えるとそう評価することで比較から降りているだけ、ということがあります。それもまた一つの偏りです。……と、自分にも言い聞かせています。
自己肯定感が低いと悩んでいるあなたへ
最後に、自己肯定感が低いと悩んでいる人に向けて。
自己肯定感が低いというのは、「自分はダメだ」と、自分で判定を下してしまっている状態だと思います。だから僕が言いたいのは、「ちょっと待ってくれ」ということです。その結論、出すのが少し早いかもしれません。
「自分はダメだ、劣っている、いいところなんてひとつもない」と思っているとして、本当にそうでしょうか。なぜそこまで言い切れるのでしょう。「あの人より自分はダメだ」と言うけれど、あの人のことを本当によく知っていますか。あの人にも、ダメなところはきっといっぱいあります。ダメな人なんて、他にもたくさんいるんです。
自分を否定するのをやめろ、と言いたいわけではありません。自分をもっと好きになれ、と言いたいわけでもまったくない。無理に自分を高く評価する必要もありません(それはそれで、また別の固定になってしまうので)。ただ、自分を低く評価してしまう前に、少しだけ「待ち」を入れてほしいんです。
自分への評価は、完全に自分だけで決められるものではないと思います。半分は自分が決める。自分をどう思うか、好きか嫌いかは、自分で決めていい。でも残りの半分は、他人や社会が決めるものです。「あなた結構いいよ」「そこ、いいですね」「すごく助かってます」という外からの評価がある以上、自分一人で「ダメだ」と完全に決め切ることはできないんです。
試しに、今の自分の状況や事実を、全部書き出してみてください。友達はいない。でも家族とは仲がいい。家事はたまにお皿を洗っている。今はニートをしている。なんでもいいので、事実だけを並べます。
そして、それを自分のことではなく「こういう人がいるらしいよ」という、誰か他人のプロフィールとして読んでみてください。「こいつは全然ダメだな」と、そこまで厳しく思うでしょうか。たぶん「まあ、こういう人いるよね。普通の人だよね」くらいに感じるんじゃないかと思います。
自分についての「断定」を、少し弱める。
そのくらいからで、いいんじゃないかと思います。
自己肯定感が高い人を目指す必要は、ありません。自分を肯定する日もあれば、否定する日もある。人より上だと思う日もあれば、負けていると思う日もある。それは自己肯定感が不安定なのではなく、あなたが現実をちゃんと見ている、ということなんだと思います。
動画では、ここに書いた内容を、僕の言葉でそのまま話しています。文章とはまた違った温度で伝わると思うので、よかったら見てみてください。
こういう「当たり前を少し疑ってみる話」を、メルマガでも書いています。
記事や動画にしきれなかった話も届けているので、よかったら読んでみてください。