本当の負けず嫌いは「勝ちたい人」じゃない|勝敗への向き合い方を4つに分けて考える
「私、負けず嫌いなんです」
自己紹介や面接で、けっこうよく聞く言葉ですよね。たぶん、言ったことがある人も多いと思います。
でも僕は、この言葉を聞くたびに、少し引っかかるんです。
というのも、「負けず嫌いです」と言っている人の中に、僕から見ると、そんなに負けず嫌いじゃないんじゃないかと思う人が結構いるからです。
もちろん、本当に負けず嫌いな人もいます。「この人は確かにそうだな」と思う人も、ちゃんといる。
ただ、「負けず嫌い」という言葉が、かなり広い意味で使われすぎている気がするんですよね。本当は別の言葉で言った方がしっくりくる人まで、まとめて「負けず嫌い」と呼ばれている。
今回は、その「負けず嫌い」の中身を、少し分解してみようと思います。
※この記事は上の動画の内容をもとに、文章用にまとめ直したものです。
負けず嫌いは「勝ちたい人」ではない
まず、名前をよく見てみると分かりやすいです。
「負けず嫌い」。負けるのが嫌い、なんですよね。「勝つのが好き」とは言っていない。
意識が向いているのは、勝ちではなく負けの方です。
なので、こういう人はあまり負けず嫌いじゃないと思っています。
「昨日負けて悔しかったから、今日は頑張る。次こそ一番になるんだ。俺は負けず嫌いだから!」
この人は、負けを知っています。負けて、悔しがって、また挑んでいる。負けがちゃんと人生の中に存在しているんです。
本当に強い負けず嫌いの人は、そうではありません。負けそうになると、「それはありえない」という感じになる。負けるわけにはいかない。負けが、あってはならないものになっているんです。
「負け」が生まれるのは、自分の中に順位があるから
じゃあ、なぜ負けられないのか。
僕は、その人の中に「社会の中で、自分はだいたいこのくらいの位置にいるはず」という想定順位があるからだと思っています。
「この分野なら、自分はできる方のはず」
「この人には負けないはず」
「自分はこういう人間のはず」
こういうイメージが、本人の中である程度決まっている。そして、それと違う結果が出たときに、認められなくなるんです。
ここで大事なのは、ただ誰かより下だったからといって、人は「負けた」とは感じないということです。自分の中に「ここにいるはず」という位置があって、そこから落ちたときに初めて、負けが生まれる。
だから負けず嫌いの人は、社会的な見られ方や、他人からの評価にとても敏感です。
負けが「自己像へのダメージ」になるかどうか
ここが一番大きいところだと思っています。
勝ち負けというのは、本来はただの結果です。でも負けず嫌いの人にとって、負けはただの結果では済みません。
負けた自分はダメだ。格好悪い。自分はそんな人間じゃない。相手より下だと思われたくない。
つまり、負けがそのまま「自分とは何者か」へのダメージになるんです。
一方で、勝っても負けても、自己評価がほとんど揺れない人もいます。負けたところで自分の価値まで下がるわけじゃないし、人から好かれたり評価されたりする理由は、勝つことだけではない。勝敗と、自分自身とを、ちゃんと切り離せている。
負けず嫌いが強いかどうかは、この勝敗と自分の価値の距離で決まるんじゃないかと思っています。距離が近いほど、負けず嫌いは強くなる。
勝ったときは、嬉しいのではなく「ほっとする」
ここから、ちょっと意外なことが言えます。
本当に強い負けず嫌いの人は、「勝ちたい」という気持ちはそこまで強くないのかもしれません。
勝ったときも、「やった!嬉しい!」という感じではなく、
「よかった……負けなかった」
という、安堵に近い気持ちになるんじゃないかと思うんです。守り通せた、ほっとした、という感じ。
負けず嫌いというと、向上心が強い、前向き、というイメージを持たれがちです。でも中身を見てみると、今の位置を守る、自分のイメージを守る、評価を下げない、という守りの感情がかなり強い。
よく「負けず嫌いな人は、実は自信がない」と言われるのも、たぶんここから来ています。ただ、単純に自信がないわけではないんですよね。むしろ「自分はできる」という自己像は強い。弱いのは、「できない自分にも価値がある」と思える安定感の方なんだと思います。
勝敗への向き合い方、4つのパターン
負けず嫌いとよく混同されるものが、2つあります。
ひとつは、勝利欲が強い人。「勝ちたい、一番になりたい、次こそ努力して勝つ」という人です。これは負けず嫌いと似ているようで、向いている方向が逆です。負けを避けるのではなく、勝ちというプラスを取りに行っている。勝つこと自体が、エネルギーや快感になるタイプです。
もうひとつは、勝負好きな人。何でもかんでも勝負にしたがる人です。「次の電柱まで走って勝負な!」みたいな。子どもの頃、クラスに一人はいましたよね。
これに「どれでもない人」を加えて、4つに整理してみました。
| パターン | 見ているもの | 勝ったとき | 負けたとき |
|---|---|---|---|
| A 負けず嫌い | 負け。自分の想定順位を守る | 喜びより安堵 | 自己像そのものが傷つく |
| B 勝利欲が強い人 | 勝ち。プラスを取りに行く | 快感・刺激・ご褒美 | 「次はプラスを取ろう」 |
| C 勝負好き | 勝負そのもの。人の関係性や差 | 「あー勝った」くらい | あまり引きずらない |
| D どれでもない人 | 勝負や順位の外側 | — | — |
A・B・Cは、ぱっと見ると全員「競争が好きな人」に見えます。でも裏側では、見ているものがまったく違うんです。
Aの人は、競争好きには見えないかもしれません。でも自分の順位を守らないといけないので、競争の場から完全に降りることはしない。降参はしないんです。
Bの人は、競争の中に得られるものがあるので、「よっしゃ」と自分から入っていく。
Cの人は、自分が戦うのも楽しいけれど、人が戦っているのを見るのも楽しい。「この二人がぶつかると、こうなるのか」と、差や違いが生まれる瞬間を面白がっています。
Dの人は、「なんでみんなそんなことやってるんだろう」と思っている。対決の世界に、あまり入れてほしくない人です。
このDは、平和主義のいい人に見えるかもしれません。そういう面もあります。でもそれだけではなくて、ある意味では「社会的に評価されなくてもOK」という、社会性の薄さや不義理さにもつながっていると思っています。どのパターンにも、良さとしんどさの両方があるんですよね。
僕は、何でも勝負を吹っかける人間です
ちなみに僕は、完全にCです。
子どもの頃から、何でも勝負にしたがっていました。僕にとって勝負は、遊びであり、刺激であり、コミュニケーションです。正直に言うと、対決ややり取りを通してでしか、うまく人と関われないところもあると思っています。
負けても、自分の価値が揺らぐことはほとんどありません。だから無節操に勝負を吹っかけられる。「あー勝った」「あー負けた」で終わるんです。
僕の中では、「戦ってる」と「遊んでる」がすごく近いんですよね。
ところが、これが全然通じない人もいました。
今回の収録に参加してくれた、れいちぇると初めて会ったとき、僕は「卓球で勝負したい。卓球じゃなくてもいいから、とりあえず何か勝負したい」と言ったそうです。(言いそうです)
後から聞いたら、れいちぇるはすごく嫌な気持ちになっていました。
戦うってことは、敵認定するってこと。今から仲良く遊ぼうと思ってるのに、なんでわざわざ不穏な空気にするんだろう。この人、私のことが嫌いなのかな。
これは衝撃でした。僕は仲良くなりたくて勝負を申し込んでいたのに、相手からは「敵です」と宣言されたように見えていたわけです。
最近は、自分が戦うより人を戦わせる方が好きなんですが、それを話したら「平安時代の貴族ですか。犬を戦わせて喜ぶみたいな」と言われました。確かに趣味が悪いです。(自覚はあります)
負けず嫌いだった人が、変わっていくとき
その「卓球の勝負」を嫌がったれいちぇるは、子どもの頃、筋金入りの負けず嫌いだったそうです。
お母さんとオセロをしていて、負けそうになったら盤ごとひっくり返して、なかったことにする。高校の体育では、バドミントンで先生に負けたうえに煽られて、授業が終わるまでずっと泣いていた。
分かりやすいですよね。まさにA、「負けがあってはならない」人です。
でも今は、そこまで負けず嫌いではなくなったと言います。
大学生くらいまでは、自分のことを何でもできるやつだと思っていた。でもいろんな経験をして、自分はむしろできない方の人間だと知った。それに、人の価値は「できる・できない」の一本の軸だけでは決まらない、とも分かった。自分ができることをできない人の方が、社会ではずっと評価されていたりする。
バドミントンで先生に負けたあの一瞬を切り取って、「お前の方が下手なんだ」と決まるわけでもない。
そう理解できてきてから、負けにそこまで固執しなくなったそうです。子どもの頃は、自分が何が得意で何が苦手かも分からないので、全部の分野で「負けたらやばい」だった。今は、負けたくない分野がかなり絞られてきた、と。
これは、とても正しい変わり方だと思います。
面白かったのは、れいちぇるが勝負の最中に気にしているのが、勝ち負けではなく「気持ち」だということでした。自分が劣勢のときは、自分の気持ちがどんどん削られていくのが気になる。そして自分が優勢のときは、「相手の気持ちが追いやられていってるんじゃないか」と気になる。
勝負である以上、どちらかの気持ちは必ず減っていくわけです。だから優勢でも劣勢でも落ち着かない。負けず嫌いの人が負けて苦しんでいるのも、見ればすぐに分かるそうです。だから、そういう人には絶対に勝負を挑まない。
僕には、この感覚はまったくありませんでした。
負けず嫌いなのに、わざと負けに行く人
もう一人のメンバー、まいねえの話も面白かったです。
まいねえは、自分のことを「全く負けず嫌いじゃない」と言います。負けた方がうまく回るなら、負けさせてください、くらいだと。理由は「だって、相手は勝てば喜ぶじゃないですか。相手の笑顔、見たいじゃないですか」。
ところが話を聞いていくと、工房を経営しているまいねえは、売り上げに関しては「めちゃくちゃ負けず嫌い」なんだそうです。会社を守らないといけないので、負けられない戦いをしている。
そのくせ、クレーム対応のときは、わざと負けに行く。負けて、負けて、負けて、最後にお客さんを立てて、また買いに来てもらう。本人いわく「負けず嫌いなのに負けに行くって、変ですね」。
でも僕は、これは今回の意味での負けず嫌いとは違うと思っています。工房を守ることは、まいねえ自身の自己像を守ることではなく、そこで働く人の生活を守ることに近い。負けても、まいねえという人の価値は崩れないんです。むしろ、自分なりのルールで勝ちを取りに行っている。
本人も最終的に「私はBかもしれません。勝手に自分の戦いを始めちゃうので」と言っていました。卓球で相手が勝ちそうなら、「いかに上手に負けて喜ばせるか」という別の戦いを、一人で始めるそうです。
「勝つこと」は、みんなにとってのご褒美ではない
今回いちばん言いたかったのは、ここです。
僕のように勝負が好きな人や、勝つことがご褒美になる人は、つい「勝ったら、誰だって嬉しいでしょ」と思ってしまいます。
だから平気で勝負を吹っかけるし、人を戦わせるし、ときには「わざと負けてあげれば、相手は喜ぶだろう」とも考える。
でも、そうじゃない人がたくさんいるんです。
負けず嫌いの人にとっては、勝っても「ほっとする」だけで、負ければ自分の像が崩れる。勝負を持ちかけられた時点で、もう守りに入らないといけない。そういう人からすると、勝負を楽しめる人は正直うらやましいし、自分は勝負に向いていないとも感じる。
僕は負けのダメージに鈍感です。だからこそ、勝負を吹っかける側が、それを相手へのプレゼントだと思い込まないことは、覚えておきたいと思っています。
もちろん、負けず嫌いが強いことが悪いわけではありません。勝ち負けが頻繁にある世界では、ダメージが大きくてしんどい場面は多いと思います。でも、だからこそ勝負に向き合うときの真剣さや、かっこよさ、完璧さがある。僕みたいな雑な勝負好きには、なかなか出せないものです。
おわりに
負けず嫌いとは、勝ちたい人ではなく、負けた自分を受け入れにくい人。
もっと言うと、本当に強い負けず嫌いの人は、勝利を求めているのではなく、敗北を避けているんだと思います。
そう考えると、「私、負けず嫌いなんです」と言っている人の多くは、実は勝負好きだったり、勝ちたい人だったりするのかもしれません。そして、「負けず嫌いなんて自分には関係ない」と思っている人の中に、本当の負けず嫌いが隠れていることもある。
収録の最後に、れいちぇるがこうまとめていました。
負けと勝ちの捉え方は、ワンパターンだと思っていたけど、本当に人によって違う。負けず嫌いの人には、優しくしましょう。
僕も、次に誰かを卓球に誘うときは、少し気をつけようと思います。(誘いはします)
あなたは、A・B・C・Dのどれに近いですか。よかったら、動画のコメント欄で教えてください。
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