エッセイ15 大猿ISFPと三つ目のENTJ

カタギです、

本日のエッセイ、内容は

ISFPENTJの類似点
・ドラゴンボールとISFP
・しっぽと三つ目
・仮面ライダーとENTJ
・現実と非現実の”スポット”

等になります。

ぜひ軽く、読んでみて下さい。

ISFPENTJの類似性

ENTJのフォアグラさんと、
ISFPのみかんさんが絵について
議論をしていて、とても興味深かった。

おふたりの話を聞いていて
分かったのが、ENTJISFPは真逆だが、
お互いサブと第3に
外的感覚(現実、日常)
内的直観(イメージ、非現実)
が入っていて、
(それぞれ順番は逆だが)

絵や何かの創作をする時、
日常と非現実の境目を
ミックスさせるタイプだと感じた。

勿論ミックスや”層”の付け方は、
それぞれで異なる。

ISFPは感覚型の日常主義。

現実や日常があって、そこに
プラスαで非日常やイメージが
加わる、という印象だ。

逆にENTJは非現実がメイン。
現実、普通への憧れがあり、

絵でもマンガでもENTJの創作物は
普通への回帰を目指す、という感じだ。

逆にISFPは非現実への憧れがあり、
非現実にちょっと入るが、それは
あくまでスポット的や瞬間的であって、
ずっとそこに留まるわけではない。

ISFPの漫画家といえば僕はすぐ
鳥山明さんが思い浮かぶ。

ドラゴンボールで主人公の
孫悟空はしっぽが生えたサイヤ人だ。

人間ではない。が、すごく
人間から離れた存在でもない。

しっぽがある悟空は満月を見ると
大猿に変身するが、それも
スポット的で、ずっと変わるわけではない。

そして悟空はその後しっぽを失うが、
今度はスーパーサイヤ人に変身する。

スーパーサイヤ人は大猿とは違い、
人間の理性もありながら、
大猿のようなパワーもある、
人ではないが、人に近い、優しい存在だ。

変身といえば、セーラームーンもそうだ。
セーラームーンの作者の武内直子さんも
ISFPだと思うが、あれも主人公が変身する。

でもやはり人間から大きく離れるわけではない。

対して、ENTJの漫画家というと、
代表はやはり手塚治虫さんだ。

継ぎ接ぎ人間のブラックジャック、
三つ目族の三つ目がとおる等は、

しっぽが生えた孫悟空に比べて、
明らかに「違う存在」に見える。

そして”どろろ”という作品。

誕生した時、魔物に身体の
48箇所を奪われた、
義手義足人間の主人公
百鬼丸が魔物を倒して、

奪われた48部分の自分の
身体を取り戻す旅の物語だが、
なんとも辛いENTJの悲哀を感じる。

まさに前述の「普通への回帰」
への物語と言った感じだ。

他にもENTJと言えば、
ガンダムの富野由悠季氏、
(ニュータイプ、強化人間の悲哀)

仮面ライダーの石森章太郎氏など、
(仮面ライダーシリーズは
石森氏が亡くなってからライトで
ポップな感じになっているかもしれないが
本来仮面ライダーはショッカーに
捕らえられバッタの能力を持つ
改造人間にされた改造人間である、
そしてその復讐の物語である)

普通への憧れを宿しながら
戦う、という物語が多い。

でも、大体どのストーリーでも、
主人公が普通に帰れることはない。

逆に、ISFPは非日常への憧れを
感じながら戦い続けて、でも、
結局は日常ほのぼの、で終わる事が多い。

ドラゴンボールで孫悟空は、
「もっと強いやつと戦いてぇ」
みたいなことを言うが、

そいつを倒して、一番になりてぇ、
最強になりてぇ、ではないのである。
あくまで戦いたい。そして、その
ワクワク感を持ち続けていたいのだろう。

ドラゴンボールにすごく詳しいわけではないので、
もしかしたら間違っているかもしれないが、
別に彼は最強にはならない。

ISFPは別にそれでいいのである。

夢や理想はあくまでプラスα。
届かない虹のようなものである。

でも、虹が見えないと走れない。

そんな感じかもしれない。

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2021_1_14
カタギ(INTP