ISFJの日本人(有名人)

ISFJの日本人の有名人を
まとめてみました。

16タイプで有名人を検索しても大抵は
海外の人物しかヒットしなかったり、
出てくる日本人も、

専門的知識のない素人が診断したもので

「ほんとか?」

と思うものがほとんどだと思います。

そこで誤解や理解不足が起こっている
と感じられますので、ここで、数人
ISFJの日本人で知名度が高い方を
紹介しますね。

草野マサムネさん(ミュージシャン)

草野マサムネさんは日本のロックバンド、
スピッツのボーカリスト兼ギタリストで、
バンドのほとんどの歌の作詞作曲も彼が
行っています。

「空も飛べるはず」「ロビンソン」
「チェリー」等の大ヒット曲をもつ
スピッツは1987年にデビューし、

現在(2021年)まで第一線で活動を
続けている、日本有数の長寿バンドです。

彼の言葉やスピッツの歌詞より
ISFJらしい言葉や歌詞をピックアップ
して紹介します。

ISFJは掴める大地を見つけろ

思春期の頃って、どこに掴まっていいのかわからなくてウロウロしているような時期だったんですけど、そこでロックに出会ったことでやっと上陸できる大陸見つけちゃったよ!みたいなワクワク感覚があったんですよ。その感覚が今でも続いているなっていうのはありますね

すごくISFJらしい表現だな、と思います。

草野さんはよく、「ロック大陸」という
言葉を使うのですが、この上陸できる
大陸、というのがそうなのでしょうね。

ISFJは足を置ける地面が欲しいんですよね。
掴みたい大地が欲しいんですよね。

そしてそれを見つけて、
そこに根を生やしたいんですよね。

にょきにょきにょきにょきと。

足を置ける地面はどこ?となっていると
哀しがりで弱くて自虐的なのですが、
一度それが見つかると嬉しくなって
元気になって自信が出てきて、

草野さんのような未来へのワクワクする
感覚も出てくるんでしょうね。

ISFJは丁寧に生きろ。勢いはダメ

丁寧に作ってあるものは、元気な時でも、元気がない時でも入ってくる。
メロディーも演奏も、丁寧に作りたい。
勢いだけで作ったものは、元気がある時は盛り上がって楽しいが、
疲れている時、弱っているときはあまり聴きたくない。
自分たちは、元気がないときでも聴ける音楽をやりたい。

丁寧、っていい言葉ですね。

メイン機能の内的感覚は繊細な
ディテールにフォーカスして、
丁寧に情報を入出力します。

勢いで作る、っていうのはISFJだと、
劣勢機能での制作になるかもしれませんね。

作曲以外の場面でも参考になると思います。

ISFJは勢いはNGです。どんな時でも
丁寧に、丁寧に、地に足を置いて、
じっくり取り掛かってください。

ISFJは卑下しやすい

(曲はどうイメージして作ってますか?)「自分が割といまだに自信ないですし、ちょっと弱気だったり、卑屈だったりする性格から出て来てるのかな。ちょっと弱ってる人にまでとかに届くような歌だといいなと思いながら作ってます。自分が弱っている時に言って欲しい言葉を選んで書いているかもしれない」

草野さんですら、そうなんですね。

ISFJはどうしても自分を卑下したり、
自虐的になりやすい傾向があります。

「どうせ自分なんてダメ‥」

という感じになりやすいのです。

特に足を下ろす大地を失っている(一時的でも)
時だったり、一人でいたりする時は、
大抵の場合そうなってしまいます。

そこでISFJさんに良いのは草野さんのように、
歌詞を書いたり、あるいは絵を書いたりして
自分と同じように弱っている誰かの力に
なるような事に表現することがいいかも
しれませんね。

ISFJは続けられればOK

(ヒット曲を出し続ける事への重圧はありますか?)「苦しいっていうのは全然ないです、バンドが続けられてれば。お客さんが減っちゃってすごくキャパの小さい所にまた戻ることになってもそれは元の形に戻るだけだし」

これは不思議ですよね。私など、

元の形に戻ったら悲しくないのかな?
成長できてないと感じるのでは?

と思ってしまいますが、

ISFJにとっては元の形に戻る、
っていうのは

「ああ、懐かしい」という感覚も
あるのかもしれませんね。

そして、そこから大きくしていった
記憶も詳細に保存してあると思うので、
同じ道は自信満々に辿れる、のかも
しれません。

こう考えるとすごく強いですよね。

ISFJらしい歌詞

せっかくなのでスピッツの曲より、
いくつかISFJらしいなと私が判断する
私が好きな歌詞を紹介します。

負けないよ 僕は生き物で

守りたい生き物を 抱きしめて

ぬくもりを分けた 小さな星のすみっこ
「小さな生き物」

上でYouTubeをシェアした曲ですね。

歌詞ももちろん、曲自体も全て
ISFJらしい曲だなと感じます。

“小さな星のすみっこでぬくもりを分ける‥”

それがISFJの生き方です。

それが最高に格好いいんですね。

そしてそれを続けられてる事が
ISFJにとって「負けない」こと、
なんですよね。

ハチミツの涙

おかしな恋人 ハチミツ溶かしてゆく

蝶々結びを ほどくように

珍しい宝石が 拾えないなら

二人のかけらで 間に合わせてしまえ
「ハチミツ」

私の好きな曲です。
やたらキラキラしてますね。

ふたりの欠片で間に合わせても
OK、と安心してるのが分かります。

スピッツが売れ始めた時期で
自信満々でGO!GO!という感じ
だったのかもしれません。

よし!大丈夫だ!という感じですかね。

同じ涙がキラリ 俺が天使だったなら

星を待っている二人 せつなさにキュッとなる
「涙がキラリ☆」

キュッとなる、ってのがいや、思考型の私には
わかんないですけど、なんか、すごいですよね。。

うめぼしとババロア

驚いて欲しいだけの見えすいた空振り

ナイーブで雑なドラマ

もっと不様なやり方で 宇宙の肌に触れる

ババロア 会いに行くから
「ババロア」

好きな曲です。
曲も宇宙っぽいですが、宇宙の肌は
どんな肌なのでしょうか‥

うめぼしたべたい
うめぼしたべたい僕は今すぐ君に会いたい
「うめぼし」

これは有名な詩ですね(おそらく)

うめぼしで思い出す彼女‥
酸っぱい思い出なのでしょうか。

ISFJだと、メイン(味覚、嗅覚)→
サブ(彼女)の順番なので、そんな
感じで昔の恋人を思い出すのが自然
なのかもしれませんね。

ISFJは終わらない

おかまいなしに めぐりくる

季節が僕を 追い越しても

エンドロールには早すぎる 君のくしゃみが聞きたいよ

意外なオチに賭けている
「エンドロールには早すぎる」

まだスピッツは終わらない、
という気概を感じます。

“くしゃみ”と”オチ”がまだ
待っているはずだ、と。

希望の旅

僕はきっと旅に出る 今はまだ難しいけど

未知の歌や匂いや 不思議な景色探しに

星の無い空見上げて あふれそうな星を描く

愚かだろうか? 想像じゃなくなるそん時まで
「僕はきっと旅に出る」

ISFJは劣勢機能に外的直観が入っています。

外的直観は未知の風景、不思議な景色。
そして、旅。に近いですね。

草野さんが劣勢機能の可能性を
捉え始めている、のかもしれません。

今はまだ難しくて、想像だけど、
いつかきっと”旅”に出たい。

それがISFJの奥底にある希望なのかもしれません。

愛してるを抱きしめる

君を忘れない 曲がりくねった道を行く
産まれたての太陽と 夢を渡る黄色い砂

二度と戻れない くすぐり合って転げた日
きっと 想像した以上に 騒がしい未来が僕を待ってる

“愛してる”の響きだけで 強くなれる気がしたよ
ささやかな喜びを つぶれるほど抱きしめて
「チェリー」

名曲ですね。

やたら曲がりくねった道、そして
“想像した以上に騒がしい未来”は、
ISFJにとって、最大の壁なのかも
しれませんね。

分かってるけど、ちょっと待って、、

分かってるけど、まだ怖い、、

まだ元気が出ない、勇気が出ない、

という感じかもしれません。

その想像よりもずっと騒がしい未来に
自信をもって立ち向かえる、

それがISFJが目指している所、
なのかもしれません。

そのためには、その力を得るには、
メイン機能で過去を思い出して、

愛しているの響きから生まれた喜びを
ギュッと力いっぱい抱きしめる、、

それが必要なんでしょうね。

高橋尚子さん(陸上選手)

高橋尚子さんは1972年、岐阜県
生まれの元陸上競技者です。

シドニーオリンピック女子マラソン
金メダリストであり、女子マラソンの
元世界記録保持者であります。

現在もスポーツキャスター、
マラソン解説者、陸上競技連盟理事
などで精力的に活躍されています。

そんな高橋尚子さんの過去の
興味深い発言、インタビューなどから
ISFJらしく参考になるものを
ピックアップしました。

ISFJとプラスちょこっと

(中高時代)あるとき,合宿で元・日本代表の選手から「自分が日本代表になれたのは,練習の後に毎日,100メートルを3本プラスして走っていたから」というお話を聞きました。「たったそれだけで?」と信じられない気持ちでしたが,翌日から毎日実践してみたんです。これが「10本」だったら三日坊主で終わってしまったかもしれませんが,「3本」なら5分もあればできるので,毎日続けました。その後,大学に進んで長距離に転向してからは,「プラス3本」を「プラス10分」のジョギングにしました。これを現役引退まで続けたのです。時間はどんどん増えて,最後のほうは「プラス1時間」になっていました。1回の成果は微々たるものでも,欠かさず続けることで,初めとはまったく違う景色が見えるところにまで,たどり着くことができました。この「プラスちょこっと」は,嫌にならず毎日できるので,陸上に限らず,みなさんにもオススメですよ。ぜひ試してみてください!
仕事人より

彼女の競技成績が伸びていった
理由は色々とあるでしょうが、

大きな理由のひとつに、この

「プラスちょこっと」テクが
あるのでしょうね。

できることをやっていって、
ちょっとずつ伸ばしていく、

シンプルなようですが、
これほど絶大な方法は
ありませんね。

ISFJはイメージできない
大きすぎる事はできません。

だから、

3本プラス、という
イメージできて、

それならできそう、と
思える内容だったので、
良かったのだと思います。

後は、やはりサブ機能の部分で、
それを聞いたのが

元・日本代表の選手から、
というのも大きいでしょう。

本で読んだ、とかネットで
検索した、とかではなくて、

実際に元日本代表の人が来て、
目の前で聞いたのが実感を
もてて、実践しようと
思いやすかったのだと思います。

しかし、それを聞いて
すぐ初めて、それを現役引退まで
真面目に続けるというのは、

本当にスゴイですね。

ISFJと未知の分野

陸連では陸上をしてきたことでいろいろと感じたことを話せても、JOCの会議では、強化の仕組みとか体制とかも含めて知らないことが多かったり、何を言っているのかわからないということもあったりして、言葉を発してはいけないと思っていました。私の質問に「えっ、この人、今さら何を言っているの?」と思われたらどうしよう、と少し躊躇した部分もあり、言っていいのか、悪いのかと戸惑うことはありました

ISFJは自分がよく知っている
知識と経験値がある分野については
(彼女の場合、陸上を実際にしてきた事)

色々と意見を言えても、

未知の分野だと、

「そんなのも知らないのか!」

と思われそうで発言を躊躇してしまう、
ということは多いように感じます。

メイン機能の内的感覚で、
積み重ねてきた経験と知識が
あれば自信をもてるのですが、

それがないとどうしても
自信がもてないんですよね。

ISFJと探検ラン

(現在は)休日には走ることを楽しんでいます。白い地図を買ってきて,まだ走ったことのないところ,山の中や森の中を探検しながら,走った道を地図に色付けしてどんどん広げていくのです。「探検ラン」と称して大学生のときにやっていたこのランニングですが,今もいろいろな地域の,いろいろな道を巡って走ることを楽しんでいます。
仕事人より

白い地図を自分の力で
カラフルな地図に変える、

という感じでしょうか。

ステキな趣味ですね。

ISFJは塗り絵が好きな方が
多い印象がありますが、

白い地図を買ってきて、
走った道を地図に色付けする、

というこの彼女いわく
「探検ラン」も、ある意味
ランニング版の塗り絵ですよね。

そしてこういうやり方だと、

ISFJの劣勢機能”外的直観”の部分、

新しい世界、アイデア、可能性、

という部分も上手く満たされて
いくのでしょうね。

素晴らしく上手な方法だと思います。

ISFJの人は是非真似したら
良いと思います。

ISFJは植物に倣う

座右の銘は「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く。」

植物のように生きろ、
ということでしょうか。

カッコいい座右の銘ですね。

そしてとてもISFJ向きですよね。

寒い日にガッカリしないで、
地道な努力を続けろ、

報いがある、目に見える成果が出る。

練習の鬼だったらしい彼女が
金メダルを手にした裏には、
人知れず下へ下へ音を伸ばしていた
努力があったのでしょうね。

矢野博丈さん(実業家)

矢野博丈さんは1943年生まれ、
100円ショップダイソーの創業者です。

大成功者ですが、自身でも、
「取材でもあまり話さないようにしている」
「私はインターネットも分からないし、時代遅れな人間ですから」
謙虚に語る成功した実業家らしくない弱気な
彼の発言から参考になるものをピックアップしました。

矢野社長は2階にいて、まず社内を案内すると言う。そこですぐさま移動、広報担当者が社内の説明をしていると、背後からひょっこり姿を現した。会うなりニコニコして近づいてきて、隠し持っていたプラスチックのおもちゃの剣で「バサッ」と著者の腕を一刀両断。続いて名刺交換すると「ちょっといいですか」と著者の指をつかんで、ポケットからカッターナイフを取り出し「グサッ」。これもおもちゃでカッターナイフの柄の部分に半円形のへこみがあり、そこに指を通すとあたかも指を切断したかに見える。いずれもダイソーで販売しているパーティーグッズだ。

おちゃめで可愛らしい社長ですよね。

ISFJはシャイなんですか?と思われる事もありますが、

私の印象ではこういったちょっとした第三者には
積極的に笑わせたりフレンドリーになる印象がありますね。

まあ、本当によく分からん時代ですよね。例えばカラオケ業界も最近は厳しいと聞きます。お客さんに合わせて常に変化をしている。カラオケルームは以前に比べてきれいで建物も格好よくなっているし、食事もおいしく、ゆったりできる場所になっている。それでも厳しいと言うのですからね。何か欠点があって、お客さんに飽きられ廃れていくなら仕方ないけど、ちゃんと進化しても悪くなるんですから

ISFJはカラオケ好きですよね。

きれいになって、建物もカッコよくなって、
食事も美味しくなって、
ゆったりできる場所になっている、、

ISFJにとっては夢のような場所ですよね。

そんな夢のような場所の経営が厳しい、
じゃあ自分の店はもっとダメだ、、
という考えになるのは妥当ですよね。

過去が全く通用しないんです。変化も激しくなって、企業の寿命30年説ももっと縮まっているのが実感です。今や20年、会社が持てばいいと考えています

ISFJにとって、過去が通用しないのは恐怖ですよね。

しかし逆に言えばこれだけ不安になって、
慎重に歩を進めてきているから、
ダイソー産業は成功したのかもしれません。

しかし、彼が100円ショップを始めたのは
倉庫にずっといて、品物をよく知っていた
からだそうですが、

ISFJと100円ショップ、って”らしい”ですよね。

手頃で、小さくて、手で持てて、
生活用品で、ちょっとした工夫で、
大げさではなく、毎日がちょっとだけ
ラクになって楽しくなるアイテム‥

ISFJにピッタリですね。

吉田沙保里さん(レスリング選手)

吉田沙保里さんは1982年三重県生まれのレスリング選手です。

女子レスリング個人で世界大会16連覇、
個人戦206連勝を記録し、「霊長類最強女子」の
異名を持つ彼女がISFJとは意外かもしれません。

(―練習がつらくて「辞めたい」と思うことはなかったのでしょうか?)それはもう、子どもの頃は何回もありましたよ。(―自主的にレスリングに取り組み始めたのはいつ頃なのでしょう。)中学1年生のときに、フランスで行われた国際大会に出場した頃からですね。ユニフォームや靴など身につけるものすべてに日の丸のマークと「JAPAN」という文字が入っていて、それを着ている自分に対して「私は日本の代表なんだな。何か、かっこいい!」と思ったんです。

日本代表のユニフォームや靴を
身につけた時から、レスリングに
本当の意味でやる気が出てきた‥

なんてことのないエピソードのように見えますが、
すごく大事なポイントだと思います。

ユニフォームや靴のような
目に見えて、身につけるものは
ISFJにとってとても
理解しやすいものなんでしょうね。

自由なんですよ、私。まあ、人それぞれだし、皆が一緒だったらつまらないですから。人間ないものねだりだから、ないものは欲しくなる。私も、胸が大きかったらなとも思うし、もっと可愛かったらな、もっと背が高かったらなって思いますよ。でも、それは生まれ持ったものだから仕方ないし、ないものはしょうがない。これが私だし、こんな私だったから、オリンピックで優勝できたのかもしれない、と。ここでもすぐにうまいことプラスに切り替えているんですよ(笑)。自分を幸せにしてあげられるのは自分しかいないので。人と比べて悩んだりするのは嫌なんですよね。人にいいところがあるように、きっと自分にもいいところがいっぱいあると思うので。

ISFJが饒舌になるのはこういう部分ですよね。

ISFJの捉える自由。
大変興味深いですよね。

(──どんな人が好きですか?)吉田:一緒にいて面白い人。話が合うというか、話をリードしてくれる人がいいです。私は甘えるタイプなので。ちゃんとリードしてもらってそれに乗っかりたいんです。

話をリードっていうのが面白い表現ですよね。

色々お喋りしたい、
色々な事を言語化したい、

でもひとりじゃ上手くできないから、
それを引っ張ってくれる人‥

という感じなのでしょうか。

勿論話だけではなくて、
実務面や生活面でも、
引っ張っていってほしいんでしょうけど。

aikoさん(ミュージシャン)

aikoさんは1975年大坂生まれのミュージシャンです。

ラジオDJなどを経て1998年に「あした」でデビュー。
3rdシングル「花火」がヒットし、全国区の存在になり、
その後「カブトムシ」「ボーイフレンド」「キラキラ」など
多数のヒット曲を発表し、時代を代表する音楽家になります。

現在も精力的に活動を続ける彼女の発言、インタビュー、
曲の歌詞などからISFJらしいものをピックアップして
紹介しますね。

ISFJと自然な変化

(変化について)前向きな“いつもいる”を書けたことで、「私も45歳になれたのかな」って。

鏡を見ると皺や髪質は変わるのに、果たして自分は成長出来ているのか? と悩んだ時期もあったんです。

ネットで「いつまで恋愛の曲を書いてんだ?」といった書き込みを目にして「あかんの?」って思ってしまう私のほうが変なのかな? とか。

たとえば漫画家の方はずっと恋愛ものやバトルものを書いていても何も言われないのに、どうして私は言われちゃうんだろうって。でもこれがずっと書き続けたいことだから――

時が経って振り返ったとき、自分に自然な変化が生まれていることが理想だったんだけど、今回のアルバムで恋愛だけじゃない曲を書いている自分に気付いて、少しずつ変わってきたのかもしれません。
「どうしたって伝えられないから_インタビュー」

成長や変化=ISFJの劣勢機能の
外的直観の部分ですよね。

ずっと書き続けたいこと(内的感覚)
ネットの書き込み(外的感情)
あかんの?(内的思考×内的感覚)

それで悩んで、でも堅実に自分が
できること、書けて歌える歌を
歌い続ける。

それがいつしか自然な変化になる。

重要なのは「あかんの?」って思っても
ネットの書き込みなど外側、社会的、
第三者の意見を耳に入れること。

なのかもしれません。

ISFJと大きな挑戦

(収録曲についても、いくつか聞かせてください。まず「メロンソーダ」は、FM802開局30周年(2019年)「TSUTAYA×ACCESS」キャンペーンソングのセルフカバー。)

オファーをいただいたときは、「そんなすごいこと、できないです」と思って、結局1年待ってもらったんです。

取りかかったときは、キャンペーンソングを意識しないで、楽しいと感じる曲、「ラジオから流れてきたら嬉しいな」という曲を作ろうと思って、大阪の友達のことを思って書きました。ファンのみんなのことも考えてましたね。ファンのみなさんも、友達になったら毎日電話するような仲になったと思うので。
「どうしたって伝えられないから_インタビュー」

1年待つのか!ってビックリですよね。

でも、忘れてないでしっかり作るのが
またスゴイですよね。

そして作る時は大きな事を考えすぎないで、
身近な友達の事を考え、想像しやすい
作った曲がラジオで流れてくる事を想像して、
作ることができた、っていうのが良いですよね。

ISFJはキャンペーンとか、大規模とか、
大きな仕事とかに直面した際、自分なんて
という感じで卑下してしまったり、

想像できないので、怖くなってしまったり
することがあると思うのですが、

その時はaikoさんのように、ちゃんと
時間をもらってしっかりと準備して
それで身近な馴染み深いことに置き換えて
取り掛かるといい仕事ができるかも
しれませんね。

ISFJのネガティブ全開

この電池切れてもずっと点滅したままきっと止まってはくれないし
薄暗い冷たい廊下を歩くと冷たい床が足下から悲しくする

また同じ事ばかりを考えては

風が吹いた春が胸をついた夏が
行ったり来たりして痛くて苦しくなるんだよ
「明日の歌」

電池がないよ、って永遠に
ずっとピカピカうるさい、

廊下を歩くとなんか冷たいし、
音も悲しい音を知らせる。

目に触れるモノ、音まで
全てが悲しいし不安定。

ISFJのネガティブモード
全開でしょうか。

全部ダメ、不安定、ぐるぐる回る、
わからないけどとにかく悲しい、

安定するために記憶をたどるけど
行ったり来たりして止まらない。

どうしたらいいんだ、

そんな気分になるのでしょうね。

ISFJと大きな雲

まつげの先に刺さった陽射しの上
大きな雲の中突き進もう

あなたがあたしの耳を熱くさせたら
このまま二人は行ける

好きよボーイフレンド
「ボーイフレンド」

大きな雲がISFJの劣勢機能
外的直観を意味しているのかも
しれませんね。

大きくて未知なよくわからない
世界は怖い、でも行かなくちゃいけない、

あなたが耳を熱くさせてくれたら、
(隣でずっと喋ってくれたら)

大丈夫。

新しい未知な世界にも行ける。
怖くない。

ISFJの幸せ

お皿に残る白い夢を 君の口にいれてごちそうさま
大きな小さい半分に慣れた頃思うこと

延長戦を繰り返してやっと見えた本当の痛みは
出会った頃より悲しくて寂しくて大切で

君にいいことがあるように 今日は赤いストローさしてあげる
君にいいことがあるように あるように あるように
「ストロー」

ご飯という白い夢を
食べさせてあげていってらっしゃい。

ちょっとした別れでも
心辛くなる、でも、それが
実感できて嬉しい部分もある。

出掛けのジュース、今日は
鮮やかな赤いストロー。

ちょっとした幸せのおまじない。

そんな毎日がとんでもなく幸せ。

以上、

ISFJの代表的な日本人の有名人

でした。

あまりいっぱい紹介しても
長くなりすぎるのでこの辺で
ストップしておきます。