エッセイ12 負けず嫌いと発達数値目標

カタギです、

個人的な話ですが、
12月はここ数年、
毎年のように喉を痛めます。

乾燥した中で音声を録音しすぎて
いたのでしょう。

なので今年はYouTubeや音声録音は
意識的に控えて、文章を書いています。

ということで、

またなんちゃってエッセイです。

年末で、

「うむ!ヒマだ!」

という人は暇つぶしにどうぞ。

内容は、

・負けず嫌いなタイプ
・エネルギー物理学
・勝者の責任でつぶれるタイプ
・心理機能の数値目標

などです。

■負けず嫌いと勝利嫌い

“負けず嫌い”という
人格形容用語がある。

人格形容用語なんて
大げさな表現を使わないで言うと、

ようするに、
人柄を表す言葉がある。

この「負けず嫌い」という言葉、
なかなか曲者である。

まず、大前提として
負けるのが好きな人はいない。

性格タイプで、

「どのタイプの人が負けず嫌いなんですか?
やっぱり外的思考ですか?」

など思うかもしれないが、

実のところは、
16タイプどんなタイプだって、
負けず嫌いである。

違いがあるとしたら、

「負けず嫌い」という
自らの中にある要素を
どれだけ意識するか、

どれだけ自らの負けず嫌い心を
自覚しているかどうか、

積極的に

「負けたくない」

という気持ちに
アクセスするかどうか、

という部分で、

「負けず嫌い」への関心が
変わってくるのだと思う。

とにかく
基本的には負けず嫌いではない
人間はいない。

それをどれだけ意識して、
大事にしているかどうかで、
それぞれの差は生まれる。

また、負けず嫌いというのは、
“負け”にフォーカスしている。

負けの恐怖心を強くもっている、
ということも言える。

負けのリスクを知っている、
とも言える。

と、僕は考える。

まあその前提を踏まえた上で、
心理機能の8つの機能で言うと、

やはり

「外的思考⇔内的感情」

このペアが顕在機能に
(メイン、サブ、第3、劣勢)

入っているタイプは
負けず嫌いに敏感かもしれないし、
自分を負けず嫌いと認識しやすい
かもしれない。

僕の印象では

「自分は負けず嫌い」

と言う傾向が強い印象があるのが、

外的思考メインのESTJENTJ
内的感情メインのISFPINFP

後はISTJENFJESFJ

という感じだろうか。

やはり「外的思考⇔内的感情」
のペアが強い印象だ。

ただ、どうだろう‥

「外的思考⇔内的感情」が
顕在機能に入っているタイプでも、

ESFPENFP
負けず嫌いという言葉からは
遠いタイプのように思う。

子どもの頃は

「勝ちたい!負けたくない!」

ってやっていても、ある時から

負けよりも、勝ちが怖くなる、、
そんなタイプのように見える。

ESFPENFPが普通に発達すると
意識的にどうしても第3機能の
外的思考にいきすぎて、

サブ機能の内的感情が抜け落ち、
敗者に優しくする、敗者も尊重する、

というのが抜けて、後で後悔する、
というパターンに陥るのだろう。

それで、自分も嫌な気持ちになって、

勝ちたくない、勝つと怖い、
みたいな方向へも行きやすくなる、

そういう傾向があるかもしれない。

要するに負けず嫌いならぬ、
「勝利嫌い」になるのだ。

勝者には勝者の責任がある。

EFPはそれのほうが苦手なのだ。

だから負けることより、
勝利のほうが怖くなる。

それで勝利嫌いになる‥

そこまで行かなくても、
勝負事の時に、勝つことよりも、
負けた相手への尊重を意識する、

というのは多くのEFPにありそうである。

が、上で挙げたように
内的感情がメインにきている、
ISFPINFPはそういう感じではない。

負けず嫌いを意識するタイプだと思う。

内的感情がメイン機能なので、

自分の「負けたくない」という
気持ちを誠実に感じるし、

敗者への配慮も意識しなくても、
自然とできるのだろう。

負けた時のみじめな気持ちも、
人一倍よく分かっているのだと思う。

だから、逆に彼らは意識的に、
積極的に”負けず嫌い”の方を意識して、

自分にもある、

「負けたくない」

という当たり前の気持ちを奮い立たせる。

それが重要なことだろうし、
それが内的感情メインが、

「実は私は負けず嫌いなんです」

みたいに意外と言う理由だろう。

他のタイプはどうだろうか。

負けず嫌いか、勝利嫌いか、

INTJINFJは勝利嫌いかもしれない。

ただ負けず嫌いでもあるだろう。

両方かもしれない。忙しいタイプである。

他はどうだろう。

ISFJ

あまりどちらもピンとこないかもしれない。

ISTP

どうだろう。

勝利嫌いな印象はない。
負けず嫌いの方が強いかもしれない。

INTP

僕もそうだが、まるで
ピンときていないと思う。

全くダメなタイプである。

残りの、ESTPENTP

この2つは特殊である。

「負けず嫌いっぽくないですか?」

と思われるかもしれないが、
僕の印象ではそういう感じではない。

彼らは「負け」を見て
いないように思えるのだ。

「負けた」、そのみじめな気持ちを
スルーして感じていないように見える。

前述の通り、負けず嫌いとは、
負けを強く意識することである。

ESTPENTPは軽い勝負事は大好きだが、
勝敗そのものはあまり見ていない。

特に負けはスルーしやすい。

バトルが楽しければそれでいいのだ。

とまあ、こんな感じである。

「負けず嫌い」と「勝利嫌い」
色々と、興味深いと思う。

今の時代は

「勝負事はイケマセン!」

とうるさい時代で、

負けとか勝つとかの話は、
大衆ウケがゼロである。

運動会でも順位をつけない、
よく分からない時代である。

しかし、どんなに目をそらしても、

街を歩けば、

身長が高い人もいれば、
低い人もいる。

金持ちもいれば貧乏人もいる。

それが現実である。

「負けず嫌い」とは、
大いに結構な気持ちだと思う。

僕は今までサッパリ
意識して来なかった。

が、僕の中にも
負けず嫌いが眠っているのは
間違いないだろう。

もし、僕同様に、
負けず嫌いの気持ちを
眠らせたままの人がいたら、

これを機会に、ちょっと
目覚めさせてみるのも
いいかもしれない。

■バランスのとれた人間は低レベルな理由

今の時代は

(今の時代がそうなのか、
時代とか関係なくそうなのか、
実のところは分からないが)

バランスのとれた人が好まれる。

知性もあり、思いやりもあり、
自立性も協調性もあり、
現実を受け入れる力も、
先を見通す広い視野ももち
個人的なユニーク性もあり、
組織への責任感と
社会意識も持っている‥

そんなバランスのとれた
人間が手本とされる。

が、基本的にこれは難しい。

心理機能の8つの機能も
それぞれ相反する機能、
4つのペアで成り立つ。

・内的感覚⇔外的直観
(信頼性⇔革新)

・内的直観⇔外的感覚
(長期的⇔現場的)

・内的思考⇔外的感情
(自立性⇔協調性)

・内的感情⇔外的思考
(個人⇔組織)

各機能はそれぞれ対となる
機能と真逆の機能をもち、

一緒に力を発揮することはできず、
それぞれ相反するものだ。

“信頼性が高い方法で、
革新的なことをしたい”

などは、不可能である。

革新的な事は必ず
信頼性は犠牲になる。

別の状況下で
別のアプローチだったり、

片方がオーバーになっており
出っ張りすぎているゲージを
真ん中に戻すことはできる。

が、同じ状況で両方を同時に
重視したり伸ばすことは
基本的には不可能である。

16タイプの理論で考えると、

自らのタイプの

メイン機能、サブ機能、
第3機能、劣勢機能で、

ちゃんと目指すべき数値がある。

イメージ的には、

メイン機能:10
サブ機能:8
第3機能:3
劣勢機能:1

くらいの印象だ。

これが自然な伸びしろであり、
これくらい凸凹でちょうどいい。

凸凹なのが人間である。

そして凸凹なのだが、この配分に
なっている人は不思議なことに
実に魅力的で人格者に思えるのだ。

こういう事を言うと、

「自分は全部7くらいです!」

とか、

「自分は全部10を目指します!」

という人がいる。

僕の個人的な印象では
そういう人は本当の10を
知らないように思える。

いや、10どころか、5も
知らないように思える。

僕の印象では5まで機能が
伸びると、他の人には、
魔法的であり、理解ができない
世界になってくる。

そこまでの力を発揮する。

7以上までいくと、
尊敬を通り越して、
ちょっと引くレベルで、
一見恐ろしい。

9以上はもう分からない。

その機能を使っていることに
他の人は気付かない。
“見えなくなる”のである。

一般人がギリギリ理解できるのが
3までで、それ以降はその機能が
強い人にしか分からない。

そんなイメージである。

物理学の世界でも、細かすぎる
世界や逆に大きすぎる世界で
働いている”力”は何らかの手段を
使わない限り可視化できず、
その力が働いていることも気が付かない。

それと同様である。

心理機能は一見バランスをとるのを
推奨しているように見えるが、

その本質は自分のタイプに合った
バランスのとり方をしないと
いけないのでややこしい面がある。

自らのタイプに合ったバランスの
とり方は、一般的に考えると、
アンバランスに見えるからだ。

まあ、とにかくそんな感じで、
バランスのとれた人間を
一般論で目指すとマズイ、
という事が言える。

でもそれでも”バランス”を
重視するとどうなるか。

すごく”いびつ”になる。

例えば心理機能の数値の話を
再び例に上げると、

極端な話、全て1点にすれば
変な話、バランスは取れる。

感覚1点、直観1点、
思考1点、感情1点、

メイン1点、サブ1点、
第三1点、劣勢1点。

オール1点。

劣勢の部分は1以上上がらないと
すれば、全て1にすれば理論上は
バランスはとれる。

が、それが魅力的な人間か
どうかは、また別だ。

でも実際こういう人が多いと思う。

1点、とかいうと、

「やばい人なんじゃないですか」

と思うかもしれないが、
実際、そこまでではなく、
普通に生きて行くことはできる。

ただやはり幸せではないし、
そういう人は充実した人生を
送ることは絶対にできない。

ここから推測できるのは、
バランスをとろうとすれば
するほど、いずれも低レベルな
人間になる、という法則だ。

オール1点、

というほど極端でなくとも、
2点、1点、2点、1点。

みたいな人は多いと思う。

現代の半分くらいの
若年層(20歳~35くらい)

がこんな感じだと思う。

これは若年層の怠惰のせいではなく、

メディアや政府のアナウンスに
内包される社会的メッセージに

「バランスのとれた人間が好ましい」

という要素が増えてきたからだと思う。

だから若年層は大変だ。

あれもこれもやらないといけない。

経済的にも自立し、友人や
交友関係も大切にし、
環境にも配慮し、おしゃれにも
気を遣い、ICTにも熟練する。

ワーク・ライフ・バランスの
とれた健康で文化的な生活を送り、

最新の情勢とテクノロジーに
対応しながら、伝統も大切にし、
信頼性の高い仕事をこなす。

会社の一員として真面目に
責任感をもって働きながら

愛にあふれる温かい家庭を築き、
子育てや家事も夫婦共同で携わり、

子どもの教育や進路は子どもの
意思を尊重しながら親としての
義務と責任は果たす。

そんな人間が理想‥とされているが、
そんなのは理想論で実際には不可能である。

勿論、各要素の目標レベルを下げれば、
達成可能だが、そんなものに意味はない。

話が随分広がってしまった。

とにかく何が言いたいかというと、

おそらく今の世の中は、普通に生きていると
自然とバランスをとろうとしてしまう。

だから、意識的にバランスがとれてないと、
気がついたときも、それを自覚しながら、
それ(バランスをとることを)を
意識的に後回しにする、

そういう決断を意識的に取る必要が
あるのかもしれない。

カタギ(INTP