カタギの人生物語 – 幼少期から高校時代まで
カタギの人生物語 – 幼少期から高校時代まで
こんにちは、カタギです。今日は僕の人生について話していこうと思います。
現在36歳の僕が、なぜ16タイプ性格診断や性格についての活動をするようになったのか、子供の時はどういう性格で、どんな人生を歩んできたのか。これまでYouTubeではあまりお話していなかったので、今回まとめてお話します。
話が長くなるので、前編・中編・後編に分けてお届けしますが、まずは前編・中編・後編として、生まれてから高校卒業までをご紹介します。
誕生と幼少期
生まれは東京
僕は1988年、昭和最後の年である昭和63年5月18日、東京都杉並区の助産院で生まれました。韓国人の方が経営されているこじんまりとした個人経営の助産院で、朝8時頃の出産でした。
その日は春にしてはやたら暑く、30度以上あったと母親から聞いています。今はそんなに色黒ではありませんが、生まれた時は黒かったらしく、母方の祖母が「名前を『黒助』にしたらいい」と言っていたそうです。
家族構成と両親の仕事
家族は4歳年上の兄(性格タイプはINTJ)がいて、父親は養護施設の料理長、母親は公立中学校の社会科の教師をしていました。(性格タイプは父親がESTJ、母親はESFP)両親とも働いていたため、僕は生まれてすぐ保育所に、その後生後半年くらいで保育園に通うことになりました。
4歳くらいまでの記憶はほとんどありませんが、兄に比べて手がかからなかったとも聞いたことがあります。
住んでいたのは世田谷区のマンションで、そこから徒歩20分ほどの保育園に通っていました。近くには砧公園という大きな公園がありました。
保育園時代の性格
威張っていた子供時代
保育園では、とにかく人に指示をするのが好きな子供だったようです。自分の軍団のようなものを作って、「あれ持ってこい、これ持ってこい」「こうやって遊ぶんだ」など、命令や指示をするのが自然でした。
ガキ大将のような感じで、ゆっくりマイペースとは正反対。きびきびしていて、発達が早い子供だったと聞いています。
責任感のある一面
保育園では常に一番最後まで残っていたのですが、他の園児に「お前の親、次に来るからちょっと待ってろ」と指示を出したりもしていました。先生を助けようという気持ちがあったかは分かりませんが、理解が早い子供だったようです。
小学校前半(1〜2年生)
優等生気取りの時代
小学1〜2年生の頃は、保育園時代と同様にきびきびしていて、どちらかというと目立つ方でした。学級参観で親が来ると「はい、はい」と手を挙げ、算数の問題もすぐに解いて「できました」と一番に言うのが好きでした。
かなりの目立ちたがり屋で、落ち着きがなく、ファミレスではあちこち走り回り、授業中も座っていられずにうろうろして色々な人に話しかけるような子供でした。ただし、ギャーギャー泣いたりすることはほとんどありませんでした。
入院の思い出
小学2年生頃、原因不明の足の麻痺で入院したことがあります。結構大騒ぎになりましたが、しばらくして症状は治まり、原因は分からないまま退院しました。
入院中も「寂しい」という感じではなく、優雅に過ごしていました。大部屋でおばあちゃんたちと仲良くなったり、普段家では見られないようなちょっとエッチな番組を見て喜んだりと、ませた一面もありました。
家族関係の変化
兄との特別な関係
家では兄と特に仲が良く、大抵一緒に遊んでいました。兄は僕の同級生とも結構一緒に遊んでくれて、大体が兄が決めて、僕が調子に乗って、同級生に色々指示していました。
兄との共同創作
兄とは一緒に漫画を作っていて、僕や兄がヒーローになって登場する物語でした。基本的には僕が主人公で、兄が時々お助け役みたいな感じで登場する作品でした。テーマソングも作ってよく歌っていました。今読むと意味不明で、如何にノリで書いていたかが分かります。
ゲームや趣味
アニメや漫画は兄が好きだったので、僕も一緒に読んでいましたが、兄と比べて読むのが遅かったです。兄がガンダム作品などが好きだったため、早く学校から帰ってくる僕に録画を命じていましたが、大抵僕は忘れていて、いつも怒られていました。
TVゲームは兄と一緒に主に対戦格闘ゲームをスーパーファミコンでやっていました。主人公キャラばかり使う兄に対して、大抵僕は悪役のキャラを愛用していました。ゲーム自体は兄の方が上手でした。
「当ててみろ軍団」の結成
小学1〜2年生の頃は、休み時間のドッジボールで「当ててみろ軍団」を結成。僕が「1号」(隊長)、友達が「2号」「3号」となって、「当ててみろ、当ててみろ」と挑発して避けるのを楽しんでいました。
ある日、女子2人が軍団に「入りたい」と言ってきましたが、「女とつるむのはダサい」と考えていた僕は正式には加入させず、見習いのような感じで雑に扱っていました。なんとなく女子と遊んでいるのはかっこ悪いという気持ちがありました。
将来の夢はお笑い芸人
小学2年生の頃は、将来の夢に「お笑い芸人」と書いていました。担任の先生からも「君は絶対いけるよ、ギャグの才能ある」と言われて、いい気になっていました。
趣味は図鑑と統計
家では「少年朝日年鑑」や「ジュニア学研資料」などの資料集を読むのが好きでした。動物の図鑑よりも、統計データの本やことわざ辞典を読むのが好きで、そればかり読んでいました。
小学校中学年:創作活動と両親の離婚
性格の変化
小学1〜2年生はお調子者で目立ちたがり屋のムードメーカー的でしたが、3〜4年生になるともう少し落ち着きました。
怪獣描きにハマる
3〜4年生の頃は外で遊ぶことが減り、自由帳に自分でデザインした怪獣やモンスターを描くことを始め、ハマりました。
その時仲良かった友達(タイプはINTJ)が「それいいね、俺も描く」と真似して始め、一緒に数を増やしていきました。僕の方は数が多かったのですが、よく分からないものばかりでした。それに対して友達は数は少なかったのですが丁寧で、明らかに彼の方が上手に描けていて、たまに落ち込みました。
勉強への取り組みの変化
低学年の頃は1番に答えることに熱心でしたが、勉強はこの頃になるとサッパリで、遊んでばかりいました。家に帰ると、そのまま荷物だけ置いて、友達の家に行っていました。
違うクラスで僕の方がホームルームが終わるのが大抵早かったので、彼より先に彼の家に帰っていました。それで彼の母親に色々ケーキなどをごちそうしてもらっていました。
その友達とはポケモンやマリオカートをやったり、公園でダンゴムシを集めたりかくれんぼなどをしていました。
両親の離婚
家族の大きな変化
この頃、両親が離婚して、父親が家を出ていきました。最初は母親も「ちょっと別に住むだけだから気にしなくていい」と言っていましたが、段々、完全に別れたんだと気が付き、とても悲しかったです。
父親との関係
1人暮らしの父親は近くに住んだので、兄と2人でよく遊びに行きました。一緒に住んでいた頃より、父は優しく、この頃は特に母より父の方が好きでした。
母親への不満
僕は学校の話を聞いてほしかったのですが、母は大抵、夜遅く帰ってきて、疲れている感じですぐ寝たので、僕は不満を感じていました。この頃はファザコン気味で、父には甘えて、母とは衝突ばかりしていました。
兄の変化
兄は両親が離婚してから段々変になっていき、それまでべったり頼っていた僕も、兄とは別行動することが多くなりました。
小学校後半:孤独と読書への没頭
暗い性格への変化
両親の離婚が直接影響を与えたか分からませんが、その後5年生の後半、6年生くらいになると、大分、僕は暗い性格になり、大抵1人でいるようになりました。
孤独な時間
真夜中、家のベランダに一人で出て、遠くを見ながらコーヒーを飲んで、悲しみに暮れていました。友達も少なくなり、班決めなどで余る、友達がいない感じのやつになりました。
当てのない散歩
この頃は放課後は1人で常に近所を当て所もなく歩きまわっていました。何か考え事をしていたのだと思います。ただ同級生などにはそんな孤独な自分を見られたくなかったので、同級生などに会うと気まずかったです。
意外な一面:ケンカの強さ
ただし、ケンカは強い方で、学年の男子でケンカ大会や相撲大会があると、必ず上の方でした。「あいつは強い方」と一目置かれていて、僕自身もこれは高いプライドがありました。
腕相撲もこの頃は強く、学年の男子で2位でした。(1位は中東ハーフの子で、レベルが違いました。また、今は腕相撲もケンカも弱いと思います。)
読書への没頭
この辺りから、鬼のように読書を始め、とにかく本を読んでいる感じになりました。
勉強の問題
学校の勉強は依然としてテンでダメで、特に漢字テストはいつも最下位でした。この頃のことが影響してか、僕は未だに書き順などが怪しく、「考える」の「考」の漢字も、大学生になるまで間違えて覚えていました。
勉強と学校生活
漢字テストの思い出
勉強は最初の頃は結構できていましたが、象徴的だったのが漢字テスト。5〜6年生になると、及第点を取るまで再テストを繰り返すシステムがあり、対象者の名前が後ろの黒板に張り出されました。
最後まで残るのを勲章のように思っていて、「再々再々再テスト、カタギと誰それ」みたいに、だいたい僕と一番仲の良かった友達(この友達の性格タイプはINFP)で最後まで残ることが多かったです。「思考」の「考」の書き順も間違っているなど、今でも漢字は少し苦手です。
家庭学習の習慣
小学校時代は家で勉強をする習慣が全くありませんでした。親から怒られることも一度もなかったかもしれません。ただし、社会科は資料をよく見ていたおかげで得意でしたし、国語も良い評価をもらっていました。
運動能力
運動はそれほど苦手ではなく、足は速い方でした。
中学時代:勉強熱心な少年への変貌
無事に小学校を卒業し、地元の公立中学校に入学しました。家から歩いて20〜30分ほどの距離で、普通の中学校でした。
突然始まった勉強への情熱
勉強ができないキャラからの転身
小学校時代は、どちらかというと勉強ができないキャラだった僕が、中学1年生になってから突然、勉強熱心になりました。
中学校は最初のテストからほぼ満点で、小学校から一緒の友人にとても驚かれました。理由は自分でもよく分かりませんが、新しい環境で良いところを見せようとしたのか、周りのクラスメイトと点数を競うのが楽しかったのか、とにかく勉強にハマりました。
異常なほどの問題集への取り組み
母親が中学の教師をしていたこともあり、色々な問題集をもらってくることができました。「この問題集使いませんか?」と学校からもらってきた様々な出版社の問題集を、僕はひたすら解き続けていました。
家から帰ってくると、すぐに机に向かって一歩も動かずに夜まで。兄は当時の僕の様子を「おかしかった」「ギョッとした」と表現するほどで、「なんであんなにずっと問題集を解いていられるんだ」と驚いていたそうです。
友達と遊ぶことは、中学1年生の前半はほとんどありませんでした。
理科での才能と挫折
小学校まではサッパリだった勉強も、家でよく勉強するようになったので、大抵よく出来ましたが、特にこの頃は理科が学校1くらいできて、別の学校で開催される色んな学校の優秀な生徒が集まる授業に定期的に派遣されるようになりました。
学習発表会的なところで、大人数の前で発表をしましたが、とても緊張した記憶があります。
ただし、その後、理科の先生とある事件があり(かなり変わった先生でした)、理科に関していい印象がなくなり、興味が薄まり、次第に成績も下がっていきました。
部活動:テニス部への入部
部活選びの迷い
運動部に入ろうと考えていて、バレー、バスケ、テニスで迷いました。
- バレー部:母親の推薦
- バスケ部:小学校時代の仲の良かった友達が入るから
- テニス部:兄がテニス部、父親もテニスをやっていた
結局テニス部を選んだのは、両親の離婚後に父親を意識するようになったパパコン気味の気持ちもあったかもしれません。バスケ部の見学に行った時、先輩が「入るに決まってるよね」という感じで接してきたことにイラついて、「入ってやるもんか」と思ったのも理由の一つでした。
テニスの王子様ブーム
ちょうど「テニスの王子様」が連載されている時期で、テニス部は男子だけで30〜40人という大所帯でした。1年生の時は全くコートで打たせてもらえないような状況でしたが、それでもテニス部で活動していました。
クラスでの人間関係
最初は暗いキャラ
1年生は始めは小学3年生くらいの時に仲良かった友達と仲良くしていましたが、部活が分かれて、次第に遠のきました。
クラスでは最初の方は引き続き暗いキャラでしたが、明るい女子と仲が良くなり、次第に明るくなりました。
初めての異性の友人
クラスで1番仲が良いのはその女子(性格タイプはENFJ)で、基本的に休み時間はその女の子と彼女の友人とおしゃべりをして過ごしていました。
彼女に対して僕は恋愛感情はなかったのですが、一緒に帰っていた時に友人にからかわれたりして、微妙に意識し始め、徐々に距離が離れるようになりました。
中学2年生:世界が広がった年
人生を変えたイギリス語学研修
2週間の語学留学
中学2年生の夏休みに、イギリスに語学研修に行きました。最初は別の研修に申し込む予定でしたが、手続きの都合で行けなくなり、代わりにイギリスの研修に参加することになりました。
一人で行ったわけではなく、同じ研修グループの中高生数人と一緒でした。寮に入って、世界各国から来た学生たちと英語を学んだり、サッカーをしたりと、とても楽しい経験でした。
大きな影響
この経験は僕にとって非常に大きな転機となりました。帰国後は「これを物語にする」と言って小説を書こうとしたほど、印象深い体験でした。それまで5教科の中で一番苦手だった英語も、この後から良くなっていきました。
ギターとの出会い
ルームメイトからの影響
イギリスでのルームメイトが高校生で、ギターを弾いてモテているのを見て「いいな」と思いました。父親がずっとギターをやっていて、僕にも勧めていたこともあり、帰国後すぐに父親からクラシックギターの小さなミニギターをもらいました。
母親との関係改善
母親も昔フォークソングクラブに入っていたらしく、ピアノも弾けたので、最初は母親からも教えてもらいました。CDを作ってくれて、吉田拓郎、かぐや姫、オフコースなどのフォークソングを中心に、聞き語りで練習していました。
小学校時代はあまり懐いていなかった母親とも、中学に入ってから仲良くなりました。僕の甘えが減って、より対等な関係になったからかもしれません。母親のテスト採点を手伝ったり、問題にミスがないかチェックしたりもしていました。
英会話教室と都心への憧れ
個人的な英会話レッスン
イギリスから帰国後、英会話スクールのような場所に通うようになりました。英会話スクールというより、個人の外国人の男の人がカフェや事務所を借りて、そこで自由におしゃべりするという感じのところでした。
そこに毎週通い、しかも生徒は僕の時間は僕と70歳くらいのおばあちゃんくらいだったので(しかもおばあちゃんも欠席が多かった)、楽しく外国人のおじさんと話していました。また、彼と仲良くなって、色々とステレオや洋楽のCDをたくさんもらいました。
映画館通いと大人への憧れ
この頃、映画館によく友達と行くようになりました。大抵、大人っぽい洋画を見ていて、実はあまりおもしろくなかったのですが、なんとなく大人になった気分がしていました。
塾での競争の楽しさ
2年の終わり頃から大手の学習塾に入り、塾の中で成績を上げることに快感を見出すようになりました。
テストや模試の成績で結果が1位、2位と出るのですが、トップを争っていたライバルに勝った負けたで一喜一憂していました。
この頃は塾も遠い所に通い、とにかく電車に乗って、都会に行くのが好きでした。
友人関係の変化
放課後の過ごし方
小学校時代は放課後もよく遊んでいましたが、中学では友達関係をそれほど重要視していませんでした。学校では大体の人と話せましたし、一番仲の良い友達もいましたが、放課後に積極的に誘って遊ぶことは少なくなっていました。
今思うと少し残念な部分もありますが、時々映画を見に行ったりすることもあったので、全く遊んでいなかったわけではありません。
中学3年生:受験と高校見学マニア
受験勉強への熱中
中学3年生になって受験になると、とても熱心に勉強するようになりました。
特に受験校選びがとても楽しく、2年くらいから常に学校案内の分厚い本を熟読するようになりました。
高校見学は20校くらい行き、東京住まいでしたが、茨城の学校なども興味を持って見学に行ったほど、今考えてもやり過ぎなくらい、学校見学に行きました。
文化祭も兄を連れたりして行きまくり、都内の高校は公立、私立問わず何故か非常に詳しくなっていました。
合唱コンクールでの活躍
ギターを始めてから音楽がとても好きになったので、合唱コンクールには非常に力を入れました。
僕自身は合唱委員でかつ、アルトとバスのパートリーダーでした(何故か両方)。やる気がなく練習に参加しない男子たちにガミガミと参加を促していました。結果、クラスは7クラスの中で金賞を取って優勝しました。
人間関係
人間関係は、特定の仲が良い友人がいるわけではありませんでしたが、そこまで浮いている感じでもありませんでした。
クラスでも休み時間などひたすら過去問などを解いている感じになり、この頃は明らかにガリ勉でした。
異常な高校見学好き
20校以上の高校を見学
高校受験を楽しんでいた僕は、高校見学に異常なほど行きました。20〜25校以上は見学したと思います。高校案内を読み漁って、関東の高校について詳しくなり、「ここ全部分かるぜ」みたいな感じでした。
興味本位での見学
特に行きたくて探していたというよりも、興味本位や好奇心で様々な学校を見に行っていました。滑り止めや併願校も含めて、私立を中心に学園祭や説明会に参加しました。
兄や母親を付き合わせて、すごく遠い茨城の学校まで行こうとして、さすがに母親に「茨城は本当に行くな」と止められたこともありました。
受験結果と進学決定
受験は5校くらい受けて、結果第一志望の都立高校に受かったのでそこに決めました。
卒業前のニュージーランド
一人でのホームステイ
中学卒業式の頃、ニュージーランドに一人でホームステイに行きました。高校の入学式前のオリエンテーションの日かその前日に帰国するという、かなりハードなスケジュールでした。
ニュージーランドでの困難な体験
中学卒業後、高校入学までの間の春休みはニュージーランドに留学に行きました。こちらは飛行機乗り換えなどがあり、またイギリス留学と違い、ホームステイでかなり大変でした。
行きにマレーシアの空港でジャケットを盗まれて、やたら寒かった記憶があります。また、ニュージーランドの田舎で何もない環境、ホストファミリーが「全部自分でやりなさい」的な教育方針だったこともあり、かなりタフな経験でした。
それでも無事日本に帰り、そのまま高校に入学することになりました。
高校時代:音楽への情熱と複雑な人間関係
高校1年生:社交的なスタートとバンド結成
留学帰りの積極性
中学最後のニュージーランド留学はかなりタフだったので、帰国後すぐ(確か次の日)にあった高校入学前のオリエンテーションでは、かなり僕としては妙に社交的で、積極的に他の子に話しかけ、友達を作りました。
バンド結成への意気投合
オリエンテーションで隣の席になった男の子と仲良くなり、彼に「バンドをやろうぜ」と持ちかけると「いいね!」と意気投合しました。彼とはクラスが離れましたが、入学後落ち合い、バンド結成に向けて2人で他メンバー集めを開始しました。
部活動の選択
テニス部継続
中学同様、硬式テニス部に入部しました。硬式テニスを中学からやっていた生徒は稀だったので、始めは部内でも上手な方でしたが、次第に抜かされていき、上手さは中くらいに落ち着きました。
ジャズ同好会への参加
テニス部とは別に、ジャズ同好会にも入部しました。ジャズ同好会は1つ上の先輩が作った結成2年目の同好会で、上には先輩が3人だけ。しかも3人とも吹奏楽部兼任で、基本的にはジャズ同好会には昼にまれに来るという程度でした。
そんな感じで練習場所も最初はなく、放課後は僕たち1年生は昇降口や廊下で練習をしていたりしました。
学校生活と勉強
最初だけの目立ち
部活以外でクラスでは最初だけちょっと目立っていて、すぐおとなしいキャラのように認知されるようになりました。
勉強も同様、留学直後はトップ層で、皆から一目置かれていましたが、すぐ落ち始め、平均に近くなりました。
音楽への没頭
この頃は音楽ばかりしていて、勉強は中学と比べれば、まっっっっったくしませんでした。(中学がしすぎていた部分もあります)
バンドの結成と解散
文化祭での演奏
バンドの方はメンバーを上手く集めて、1年の文化祭で演奏しました。(僕はギターと、1曲歌いました)
演奏したのはGOING STEADYやモンゴル800、BUMP OF CHICKENなどでした(他のメンバーの趣味)。
バンドからの離脱
その後、僕はバンドを抜けました。メンバー内でも浮いていたし、なんとなくソリが合いませんでした。僕がきっかけで作ったバンドなのに、他のメンバーで色々と決まっていく形が我慢ならなかったのかもしれません。
洋楽への傾倒
抜けてからは、僕は洋楽に完全に傾倒していき、特にHR/HM(ハードロック/ヘヴィメタル)にハマっていきました。
また、DTMで作曲、録音することも本格的に始め、色んな曲を演奏してCDアルバムを作って、祖父や知り合いに配ったりしていました。
高校1年生の学校生活
クラスでの様子
男子が6〜7人という男子の少ないクラスで、その男子メンバーとだけ話すような感じでした。中学時代に比べて女子を意識するようになり、女子とはあまり話せませんでした。先輩も怖く感じていて、基本的にはシャイで大人しい勉強系の生徒という印象だったと思います。
高校2年生:4人組グループの形成
安定した友人関係
クラスでは1年は特定の友人はいませんでしたが、2年ではクラスが一緒になった男3人と僕でグループのような感じで一緒にいることが増えました。
4人でいる時は、それぞれの相性で自然と会話の組み合わせが決まっていました。
体育委員での活動
僕の学校は体育祭に皆がかなり宗教的に力を入れる高校で、それを担当する体育委員は部活を超えたレベルで仲間意識があり、またクソ忙しい委員会でした。
2年のクラスは皆がなることを嫌がり、話し合いの結果、グループの一人が「僕となら一緒にやりたい」とか言い出して、なんとなく僕もOKしてしまいました。(しかし、実際の活動は彼はあまり来ず、僕ばかりやることになりました。)
勉強への興味を失う
この時期、勉強に対するやる気が完全になくなっていました。頭の中は音楽一色で、将来はギターリストになりたいと思っていました。
見返してやるという気持ち
高校1年生でバンドから抜けた後、なぜか「見返してやる」という気持ちが強くなりました。「俺はいつかバンドですごくかっこよく歌うんだ」という決意を持ち、家でギターや歌の練習に励んでいました。
成績について
勉強はどうでもいいという感じでしたが、最底辺ではありませんでした。基本的には真ん中くらいの成績で、世界史だけはやたらと上位でした。それ以外の科目は真ん中くらいだったと思います。
高校3年生:部活動の発展と進路選択
ジャズ部の発展
ジャズ同好会は色々あって、僕の代は来るのが僕(と部長になる吹奏楽の男子)だけになり、2年になると僕が副部長になり(実質部長)、10人くらい入ってきた1年生をビシバシと1人で指導しました。
その後、ジャズ同好会は僕の文字通りの奮闘(練習場所の確保、コーチの招聘、初心者の技術向上)で、3年生の頃に部に昇格しました。
後輩との良好な関係
先輩志向から後輩志向へ
ジャズでもテニスでも、先輩や同年代より後輩の男女に妙に人気があり、色々とモノをもらったりしました。
勉強と進路
成績について
勉強は中くらいでしたが、世界史だけはやたらと出来て、ずっと学年で2番でした。
英語クラスでの出来事
英語はできる別に5クラスに分かれていて僕は入学からずっと2クラス(二番目にできるクラス、1は留学生限定)でしたが3年の途中に3クラスに落とされました。
落ちる成績ではなかったため(大体成績下位の数名が落ちるが僕はその時中の下といった所でした)先生に抗議(というより質問)に言ったところ、
「お前は本気を出していない。もっとやれるはず。ちゃんと真面目になったら上げてあげる」
と言われました。
しかしその後僕は3クラスでずっと1番でしたが、結局、3年間、2クラスに上がることはありませんでした。
進路選択の変化
音楽専門学校から大学へ
とはいえこの頃は大学に行かず、音楽の専門学校に行こうと考えていて、実際3年の夏頃までは進学する気はありませんでした。
しかし色々考えが変わり、3年の夏の終わり頃に、大学に進学することを決めました。
猛勉強の末の合格
その後、狂ったように勉強をし、国立大学の外国語学部に入りました。
以上が、僕の高校時代の物語です。シャイな性格ながらもバンドへの憧れを持ち、音楽に没頭した3年間。友人関係では1対1からグループへ、そして先輩志向から後輩志向への変化も見られました。勉強よりも音楽を優先し、将来への漠然とした夢を抱きながら、大学進学という新たなステージへと向かいました。
この高校時代の経験が、後の人生で人間関係や自分自身の性格について深く考えるきっかけとなり、現在の性格診断への取り組みにつながっているのかもしれません。
次回は大学時代以降についてお話しします。どうぞお楽しみに。