エッセイ17 祖父の声

カタギです、

あなたは亡くなった肉親の
言葉を思い出すことはあるだろうか。

最近、僕は亡くなった祖父の言葉を
よく思い出し、考える。

祖父は母の父で、
小学校の国語の教師をしていた。

彼は結婚した妻(つまり僕の祖母)
とは娘と妹(つまり僕の母と叔母)が
家を出てから、すぐ離婚していた。

亡くなったのは僕が大学生の頃。

僕が20歳くらいの頃なので、
もう13年くらい前になる。

容態の急変の連絡が
母の所に入ったのは早朝だった。

僕は深夜のアルバイトが終わり、
東京杉並区高円寺の自分の
部屋に朝帰りしてグーグー寝ていて、
連絡の電話も出なかったので、

当時小金井に住んでいた
ESTJの祖母が僕の家まで来て、

「起きなさい!起きなさい!」
「おじいちゃんが危篤よ!危篤!」

と、大声で怒鳴り、ガンガン
僕の家のドアを力いっぱい叩いた。

かなり近所迷惑だったと思うが、
それで僕は起きることができた。

祖母は当然離婚していたので、
祖父の所へは来なかったが、
やはり孫の僕には祖父の
死に目を迎えてほしかったのだと思う。

お陰で僕は最後の場面、
祖父を見守ることができた。

祖母には感謝している。

さてその亡くなった
祖父の16タイプはESFJ

その彼が生前言っていた言葉を
最近、ふとした瞬間に、よく思い出す。

当時は釈然としなかった事が
なんとなく理解できる気がしてきたのだ。

僕はINTPESFJとは真逆だ。

相性は最悪というペアで、
確かに往年は折り合いが悪かった。

祖父は祖母と離婚してから、
千葉の田舎にひとりで暮らしていた。

僕が彼に会うのは年に数回、
その千葉を母、兄と一緒に
訪ねていく時か、

祖父が何かの用で、
(例えば歌舞伎。彼は
歌舞伎をみるのが好きだった)
東京に来る時だけだった。

祖父は甘いすき焼きとかが
大好きだったので東京に来ると
銀座とかでそういうお店に入った。

が、僕は甘ったるい食べ物が
苦手だったので、不満顔で、
あまり食べなかった。
(当時、基本的に僕は
よく食べるほうだったので例外だった)

母は僕はそんなに少食では
ないはずだけど、みたいな事を
言っていたので、祖父は、

「お祖父ちゃんに遠慮するな」

と食べさせようとしたが、僕が
あまり応じないので不満そうだった。

当時僕は心の中で、

「別に遠慮してない。
あまりすき焼きは好きでないだけだ」

と思っていたが、今考えると、
遠慮していた、、と言える
部分はあったのだと思う。

甘ったるいものがイヤで、
食べたいものがあったなら、
それを正々堂々主張すれば
良かったのだ。

もっと子どもらしく
ワガママを言えば良かったのだ。

それをしなかったのは、
“遠慮していた”と言えなくもない。

そう考えると、彼の言葉を
もっとちゃんと聞いておけばよかった、
ということも今になって思う。

そしてこのところもこの祖父の
セリフを思い出してまた自問する。

「今、俺は何か、もしくは誰かに
遠慮していないだろうか?」

「遠慮という意識はなくても、
旗から見たら遠慮になっていることは
ないだろうか?」

「もっと、無遠慮にぶつかってきて欲しい
人、モノはいるのではないだろうか?」

と。

遠慮は外的感情っぽいが、
ただ遠慮を気にするのではなく、

遠慮の調整を図るのが、
外的感情なのだろう。

遠慮も行き過ぎると害になる。

彼はそれを教えてくれたのだと思う。

祖父のエピソードはまだまだある。

僕と母兄が千葉の
「お祖父ちゃんの家」に
遊びに行ったときは、

必ず、
母と祖父の親子タイムがあった。

父と娘、一対一で将来の事や、
現状の注意を祖父が母に与える時間だ。

ESFPの母はハッキリいって、たしかに
当時の僕から見ても、色んな事が
未整理で、だらしなかった。

僕の母は僕が10歳くらいの頃、
夫(つまり僕の父)と離婚していたが、
その残務処理というか、家の問題や、
お金の問題や、その他様々な事が、

すべて曖昧でウヤムヤなままに
なっていた。

そして将来の事についても、母は
ノープランで行きあたりばったりだった。

そこを、ESFJの祖父が
小学校教師らしく、優しくも厳しく、
熱血指導をする、それがその
一対一の親子タイムだった。

(勿論、この名称は僕が
勝手に命名したものである。)

その親子タイムをそろそろしなければ、
と祖父が思いだすと、そういう
プレッシャーを与え始める。

大人たちは大事な話があるから、
空気を呼んで、子どもは子どもらしく
外にでも遊びに行きなさい、
という空気を出してくるのだ。

小学生高学年~中学生くらいの
僕はこれが当時、とんでもなくイヤだった。

話し合うことは予想がついていたので
僕も話し合いに参加したかったのだ。

自分も当事者なので、自分の意見も
聴講し勘案の上、計画を調整して
欲しかったのだ。

それに、毎回、毎回、この話し合いは、
長すぎて、さっさと片付ければいいのに、
と感じていた。

聞いていて(子どもには隠していても
何を話しているのか分かるのだ)
言ったり来たりの堂々巡りをしているのだ。

とにかく毎回、同じ事を話している。
そして長い。ムダに長い。

ESFJは理屈っぽく話そうとすると、
とにかくよく分からない長話になる。

第3の悪い所を内的思考で
カバーできないので、まとまらなくなるのだ。

で、理屈でまとめられなくて、最終的に
無理やり経験道徳論でまとめる。

祖父の演説の流れはだいたいこうだ。

理屈でスタートして、変なたとえ話を出して、
で、話がどこかに飛んでいき、
結局話している本人が困って、

最終的に自分の経験を話し、それを
道徳と結びつけ話をまとめる。

劣勢→第3→サブ→メイン
という完全に順番だった。

そして最初の2つが明らかにいらなかった。
最後の結論と毎回無関係だった。

ただ話を長く、ややこしくしているだけだった。

だったら最初から経験から来る
道徳論で結論づけろよ、
と子ども心に感じていた。

そして、そんな祖父の熱血指導を受け、
母親が変わったり、整理できるように
なっていたというと、それもまったくなっていなかった。

なぜならをその後祖父のところから帰ってきて、
生活を過ごしていく中で、感じていたので、

これじゃあ駄目だ、とも感じていた。

母の未整理をなんとかするには、
変な道徳を語って聞かせても駄目で、
ちゃんとその場でスケジュールを設定して
いかないと駄目だと感じていた。

だから、僕が話し合いに参加したら、
母のだらしない部分も治るし、
将来の事も合理的に話し合え、
色んなことがクリアにしていける、と
感じていたのだ。

だから、何度も僕はこの
大人の話し合いへの参加を希望した。

でも、頑なに祖父は応じなかった。

「子供の出る幕ではない」と
理由はその一点張りだった。

僕が何を言っても聞いていかなった。

これだけは、首を縦に振らなかった。

一度も。ただの一度も。

・・・・・

その後、何年かたって、
あまりに僕がうるさかったので、

「わかった、じゃあ子どもの代表意見
としてお兄ちゃんの意見を聞く。」

となり、親子タイムの後に、
短い時間、祖父と兄が
一対一で話す時間も設定された。

兄は別にそんなに意見はなかったので、

「俺はアイツとは違う。
別にそんなに反論はない」

と一言、言うだけだった。

それを聞いて祖父は満足し、
よし、じゃあいいな、という感じで
毎回まとめようとしていた。

当然僕はまったく面白くなかった。

反発心という形で辛うじて
存在していた祖父への愛情が、
急速に冷凍されていく瞬間だった。

そしてそれ以降、僕は祖父に
表立って反発することはなくなった。

反発もなかった。

「もう言ってもムリだ」

そんな、氷のように冷え切った気持ちだった。

。。。。

今は祖父の気持ちも少しは
理解できるかもしれない。

彼が頑なに「父と娘」
(祖父と母)の話し合いに
こだわった理由も検討はつく。

祖父の父としてのプライド、
役割、責任。

母の母、そして娘としての
プライド、役割、責任。

それを大切にしていたのだろう。

役割のプライドは大切にすれば、
そこへの責任感が出てくる。

もし僕がその話し合いに
しゃしゃり出てきて、それで
その時の状況が好転したとしても、
それは果たして母の母としての
能力をあげ、母親としての責任感を
熟成することに役立つのか?

と考えてみると、逆効果だった
可能性のほうが高い。

その観点から見ると、
それぞれの道徳的な立場を
尊重する祖父の指揮は
間違っていなかったわけだ。

。。。

そういう感じで、あなたも、
もし、親戚でも仲間内でも、
わだかまりが残っている
エピソードや関係があれば、
再考してみるのをオススメする。

16タイプの事を学習した今だから、
その時点では気がつけなかった
事に気がつけるはずだ。

勿論、僕は祖父の采配が全て
正しかったと今は思っている
わけでもないし、わだかまりは
まだ心の内側に存在する。

ただ、自分が見落としていた事は
多かったと気がついただけだ。

基本的に皆、精一杯生きている。

自分が気に食わなく感じた
発言や態度も、本人の中では
精一杯のベストを尽くした発言や
態度であることがほとんである。

テキトーな事をずっと言ったり、
フザケて生きている人は
一般的に思われているよりも、
ずっと、ずっと、少ない。

皆、本気である。

人生は問答無用である。

本気でないと、生きられない。

本気の人の発言や態度には、
必ず何かの”愛”がある。

僕たちは、それを見逃さない
ようにしたいものである。

カタギ(INTP

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